鬱った。3

休みが決まったのはW杯の開幕直後。

会社の友人には「試合が全部見られてラッキーだ」なんて軽口を叩いていた。

でも実際にはものすごく怖くもあった。

 

 

何をすればいいのだろう。

鬱の人の休みはどうやって過ごせばいいのだろう。

そもそも休んでどうかなるのか。

休むって実際にはどうすればいいんだっけ。

復帰できるのだろうか。

そしたら金は?金はどうしたらいい。

これでこの先のやっていけるのだろうか。

俺、全然ダメじゃん。

バカだし、仕事できないし、ちゃんと話せないし、何も考えられない。

自分の意思決定すらできない。

クズだな。

これが続くんだったらいっそ。

 

こんな思考をぐるぐる巡らせていた。

思い返してみると鬱のときの思考というのは、自分を行動させないようにしていた気がする。

なんでもっとうまくできなかったんだろう、でもあのときあの人があんなことを言ったから。

どうしてあんなことしてしまったんだろう、でもそもそも自分ってそういう人間だし。

こんな風にすべてのものごとやできごと、そして自分の行動に対する答え、それがすべて言い訳だった。

 

会社の仲の良い同僚がバンドマンで、休みの直前に彼のすすめで安いギターを買った。

1週間特にやることもなかったし、金もなかったから、とりあえずこのギターを練習することにした。

ギター初心者には定番のスピッツのチェリーから弾き始めることに。

弦は予想以上に硬くて痛いし、音もうまく出ない。

それでも夢中になって弾いた。

 

冷房するのはもったいないので、扇風機で暑さをしのいだ。

あの常軌を逸した気温になる前のことだったので、何とかなった。

それでも滴るくらいには汗をかいた。

最初のほうはタオルで顔を拭ったりしていたが、途中からそれも忘れていた。

気づけばTシャツはびしょびしょで、ギタのボディーも湿っていた。

たぶん、楽しかったのだと思う。

 

休んでから3日ほど経って、一度激しく落ちた。

初めはあの言い訳の思考が戻ってきていたが、途中からなにも考えなくなった。

考えることを放棄したらしかった。

ベッドから一度も起き上がることなく、たぶんじっと天井を見上げていた。

クソつまらない天井だった。

昔の日本家屋のような模様もなく、ただ白い紙が貼ってあるだけの無機質な天井だ。

ただそれをじっと見ていたんだと思う。

気づけば暗くなっていて、W杯の試合を思い出してむくりと起き上がり、テレビをつけた。

 

そこからは吹っ切れた。

映画や小説を見まくった。

悲しい物語にはボロボロ泣き、楽しい物語にはケラケラ笑った。

何を見ても感情がなくなりかけていたから、久しぶりの感覚だった。

 

友達と飲みにも出かけた。

くだらない話をした。

自分が鬱だということは言わなかったし、仕事の話題のときはタバコでしのいだ。

 

最終日、また少し落ちた。

自分は休めたのだろうか。

気だるさは抜けなかったし、何をしていてもあの言い訳の鬱思考は付け入る隙を窺っていた。

でもいくぶん心が軽くなったように感じていた。

気のせいかもしれない。

気のせいでもいい。

とにかく少しは楽になったはずだ。

 

続く