恥めまして

3年くらい前、あいりん地区で飲んだことがある。

あいりん地区というのは大阪市西成区の俗称である。

漢字で書くと愛隣。

その字面とは似ても似つかない住所不定の日雇い労働者たちが居を構えることで有名な場所だ。

大阪にいる友人に会い、大阪の観光地を一通り案内してもらい、通天閣を越えてあいりん地区へ向かった。

進むに連れ、建物がみるみるみすぼらしくなっていく。

やがてだだっ広い通りに出る。

町工場のさびた道具の塊みたいな人間達がふらふらと歩いていたり、道ばたで短い煙草を吸っていた。

自販機では見たことのないパッケージに包まれた飲み物が60円で売られていた。 狭い路地に入ると酒と書かれた看板が目に入った。

飲み屋というよりは、屋台だった。

鉄板を囲むようにして置かれた木の板。

そこに酒を置いて、おっさんたちが酒を飲んでいる。

空いているスペースに身をねじこむ。

小銭を置くと、店主は何も言わず、缶ビールを僕に手渡した。

夏だった。

晴れていた。

こんな体験したことないけど、なんだか懐かしい気もした。

というより映画の世界に迷い込んだみたいな、レジャー感があった。

そして自分たちは浮いていた。

場違いだった。

周りには汚いおっさんたち。

そのおっさんのひとりが空になったビールの缶を潰し、小銭を財布からテーブルに置いた。

そして帰り際、周りのおっさんたちに向かって、ほんじゃ、と一言。

するといままで黙ってそれぞれ酒を飲んでいただけのおっさんたちが、人懐こい笑顔で軽く手を振った。

なんだかいいな、と思う。

ここの人たちは、自分の会社の人たちよりずっと生きている感じがした。

そう思って、すぐに自分が、傲慢だ、と思った。

たぶんこの人たちからしたら、自分たちはずっと恵まれた環境にいる。

自分がどれだけ失礼なことを思ったか。

僕のこれまでの経験すべてを総動員しても、彼らのことは理解できない。

彼らは彼らの言語があって、きっと共有するものがある。

なんだかいたたまれなくなって、小銭を置いて、さっさと帰ろうとした。

さっきのおっさんを思い出す。

僕は違う世界の住人だ、と考えてしまって、ほんじゃ、の一言が出てこなかった。

するとすぐ僕の隣にいたおっさんが僕の方を見た。

そして、軽く手をあげ、ほんじゃ、と言った。

他の人もそれに続く。

とっさに会釈した。

会釈しかできなかった。

泣きそうになった。

自分はホームレスに対して差別をしていないと思っていた。

それは間違いだった。

僕は差別していた。

勝手に彼らをかわいそうだと思っていた。

何の苦労もなく手に入れたその服や装飾品を羨ましくて妬まれている、と勘違いした。

でも彼らはそんなこと思っていない。

ただ酒を飲んだ一人の仲間として、ほんじゃ、と声をかけてくれた。

仕事を始めて、周りの人たちとの会話はすべて自分自身のことではなく、自分に付随するものだけが意味を持っていた。

どんな会社か、どこの大学か、どれくらいの年収なのか。

そればっかり自分で気にしていたし、周りもそうだった。

だから、嬉しかった。 社会人になって、一番美味しいビールだった。

その後、隣にある北新地に愛を買いに行った。

あいりん地区。

漢字で書くと愛隣。

似つかわしくない、とは今では思っていない。